人材派遣の起源「桂庵」とは?

人材派遣はアメリカのマンパワー社が世界初の派遣会社とされていますが、近い事はもっと遥か昔から行われていました。

日本では「桂庵」と呼ばれる仕事が江戸時代から存在していました。

コトバンクで調べると、桂庵(「慶庵」「慶安」とも書かれる)は、奉公人、雇い人、芸者などの周旋業者。俗に「口入れ屋」ともいわれる。江戸時代(1650年頃)江戸京橋の医師大和慶庵という人が縁談や奉公人の紹介をした事に由来する。と書かれています。

桂庵は、もともと医者でしたが患者を沢山診ているので、顔が広くなりました。顔が広くなると患者の人が誰かいいお嫁さんを紹介してくれないか?とか誰かいい旦那さんはいませんか?という問合せが多くなったそうです。そこで患者同士をマッチングした事により感謝が絶えなかったそうです。更に、奉公人(今でいうお手伝いさん)は居ないか?など、別の依頼が増えていったようです。いつの間にか桂庵は人材紹介のプロのように扱われるようになってしまったそうです。

その後、江戸時代では人材派遣のように人を紹介する個人のハローワークのような人が沢山存在するようになるのですが、元祖ともいうべき慶庵の名前にちなんで、「桂庵」と呼ばれるようになったそうです。

桂庵を頼ってくる人は郊外から江戸に仕事を求めてくる人がほとんどだったようで、江戸に出てきたばかりで知り合いもいない、アテもないという人は時代的に個人で仕事を探す事は困難でした。というのも、今でこそ職業紹介所や求人誌のようなものがありますが、当時は飛び込みで使って欲しい!とお願いする事くらいしか仕事を探す方法が無かったですし、更に庄屋や問屋などは奉公人も多く、コネやツテが無ければなかなか採用して貰えませんでした。採用するにしても何らかの保証が無いと危ないという事で、縁故があるとか、知り合いからの紹介でないと雇って貰えないというのが現実だったようです。彼らは自分の保証人(身元保証人)になってくれる人が必要でした。そういった理由で桂庵を頼りに江戸に出てきていたという時代背景がありました。

桂庵はそうして郊外から江戸に出てきた求職者達の身元保証を引き受けると同時に、彼らに住むための家を用意し江戸の文化や風習、風土といったものを教えるだけでなく、方言等を修正するよう言葉使いの教育や、奉公をするための仕事の教育も行い、半年や1年などの期間で彼らと契約して、奉公先に派遣していたそうです。もちろん、奉公先(派遣先)から手数料を取っていましたので、現在の派遣会社と行っている仕事は何ら変わりがない状態だったのです。

身元保証を得た求職者達は、桂庵のおかげで大名屋敷や武家屋敷に奉公に出たり、土木工事などの肉体労働から商人の元でサービス業をしたりと、実に様々な業種を桂庵からの紹介で行う事が出来ました。桂庵は突然クビになってしまう事が多々あった彼らが次の仕事(奉公先)を見つけるまでの食事の世話や住居の世話をしていたので、現代の派遣会社よりもサービスが良かったのではないか?とも言われています。

ただ・・・、法律がなく、管理する人もいなかった時代ですから、今でいう所の中間マージンに関しては個人の裁量で全て決められていました。奉公先も相場がない世界ですので、職種によってというよりは、職場によって手数料も大きく変わりますし、個人によっても大きく変わってしまっていたようです。

桂庵の他に日傭座という業者も存在していたという記録が残っています。

日傭座に関してはこちらをご覧ください。